マリヤ崇敬は・・(2)

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701ヌマツダ
>>699 言わんとしていることは分かるが、私の疑問点はこうだ。

聖霊→人→「イエスは主である」発言は聖書の説く所である。
聖霊→マリヤ→人→「イエスは主である」発言は聖書の説く所でない。
だからマリヤの後に偽マリヤが出ると判断が出来なくなる。

聖霊...→マリヤ....→人→「イエスは主である」発言の後に、
ルシフェル→マリヤを語る者→人→「マリヤは宇宙の女王である」発言があると、
「マリヤの発言」に聖悪の区別はすぐには付けられない。ということだ。

コリント1:12: 3、
聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
のような、マリヤの発言を聖霊によるものと確定する聖伝の聖句はどこにあるのか?
検討の余地がある。

マリヤがイエスを身ごもった時の、
エリサベツの「あなたは女の中の祝福された方、」発言は、
聖霊によるものとルカ1:41に書かれている。
マリヤの「わがたましいは主をあがめ、」発言は聖霊によるものだったろうか?
マリヤがカナの婚礼での「葡萄酒がありません。」発言も聖霊によるものか?
ヨハネ2:3のソレは日常会話だろう。

だから、いつもマリヤの発言が何でも「聖霊によるもの」とは言えないだろう。
結婚していないクリスチャンが処女・童貞だとは限らないのと同様、
何でもカンでも「聖霊によるもの」と言えないだろう。

似たような例に、
「異言」スレッド http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=989758568&ls=50
でも、異言を語ったからと言って、聖霊によるものと決めつけられない、
内容によって「悪霊による異言」と「聖霊による異言」があると討論している。