マリヤ崇敬は・・(2)

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442ふらんちぇすこ
ついにルルド水も渇水したようだね。
話題再開のため、石を投げ込んどく。

>>309 ブルネルス
>ヌマツダ氏の主張に近いのだけど、教会の伝承ではなく、
>聖書のみだ、というところについてはちょっと引いてしまう。

ヌマツダ氏は「聖書のみ」ではなくて、「歴史学」「聖書学の成果」
という「伝承」も根拠にしてると思うが。

歴史学的、或いは聖書学的立場なら、ヌマツダ氏の主張は正しい。
いや、寧ろ、イエスの地位も上がったとするブルネルス氏の主張
がより正しいかもしれないね。

マリアの崇敬に、聖書に書かれた当時の根拠なんかないんだよ。
だからそこのみに拠れば、まったくヌマツダ氏が正しいけどね。
けどカトリック教会は「旅する教会。神は完成に導く」という
概念を持っていて、そのなかで、信仰のかたちを様々に思考錯誤
して来たわけだ。いわば完成途上にあるのかもしれない。

マリア崇敬は民衆からの求めより始まった。
民衆の「信仰」には、整合性の有る理論はない。
知識階級の信仰、教義とは違うレベルで発するからね。
理論付けはほんというとナンセンスかもな。

しかし、そういうのをあながちバカにするのもなんだよ。
何故、マリア崇敬が廃れなかったのかな?
むしろ、近代になってマリア崇敬がより盛んになったのは
何故だろうか?大衆心理を分析した方がいいと思うけどね。
それを存続させたいと思う民衆の欲求はなんだろうね。
僕はそれが前から不思議なんだな。