マリヤ崇敬は・・(2)

このエントリーをはてなブックマークに追加
33信仰虚弱
 おはようございます。熱心ですねえ。今朝は、フランシスコ会聖書研究所訳注
新約聖書のマタイ12章の注釈(18)を紹介しましょう。

>  「イエズスの兄弟たち」とは、血のつながった厳密な意味での兄弟やまたは
> 義兄弟を指すのではない。ギリシャ語、ラテン語の本来の意味はそうであると
> しても、ヘブライ語とアラム語には、いとこを意味する語がなかったので、
> ユダヤ人たちは親族の者または同胞たちを呼ぶのに「兄弟」を使った。
> 福音書の著者も、このような慣習に従って「兄弟」という語をイエズスの親族に
> 対して用いている。実際、イエズスの兄弟と呼ばれる人が、聖母の子として
> 記されている箇所は、聖書には全然ない。マルコ6:3に記されているイエズスの
> 兄弟ヤコブとヨセは、聖母の子ではなく別のマリアの子と明記してある
> (マルコ15:40)参照。

 福音書の著者は、「血縁が大事だ」と主張する人に反論するために、
血縁よりも尊い霊的な人のつながりが重要だという真理を、信徒に強く
訴えたかったので、マルコ3:31他を「いとこ」ではなく「兄弟」と訳した
と思われます。
 マリアがイエスの刑死後、ヨハネに引き取られた事実(ヨハネ19:27)と
併せれば、マリアにイエス以外の子がいたという解釈は荒唐無稽です。
 もっとも、他教派の信徒の方に押し付けるつもりもありませんが・・・。