マリヤ崇敬は・・(2)

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>ヌマツダさん。

「聖伝」は私的解釈なのでしょうか。むしろ教会のよって承認されてきた
公的解釈だと思います。信徒は「教会を通して、神の多種多様な知恵を知る」
(エフェソ3:10)のです。
教会は「真理の柱」(1テモテ3:15)ですから。

ヌマツダさんは、「聖書自身で解き明かす」と言われますが、媒介に人間が
入らないわけではありません。どの聖句をどう解釈し、どの聖句と結びつけるか、
は学者(立場)によって様々です。私的解釈も多々あるでしょうね。
さらに、その解釈の妥当性も神によって追認されたわけではないのです。
時間があったら、日本基督教団出版局の注解書といのちのことば社の注解書を
比較してみれば、「聖書自身で解き明かす」などということが現実的にいかに
困難かわかるはずです。

さらに、
>聖書のみからしか信仰を構築できないのです

とありますが、教理史的に見れば、「現実の」キリスト教はそういう風
には成立してきませんでした。
正統信仰の旗印である三位一体論だって、純粋に聖書のみで議論されて
きたわけではないのです。まったく聖書にないヘレニズムの概念を教義理解に
用いています。キリスト論のキーワード「同一本質」も、当時は危険な
グノーシス用語だったのでした。