マリヤ崇敬は・・(2)

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185名無しさん@1周年
>>181確か、みんな聖人だったと記憶しますよ。
聖母マリアはキリストの受胎を受け入れることのできる
祝福された母胎として特に高く上げられていますが、
他の方と同じ聖人に過ぎません。

ミサに式次第を見られたら分かると思いますが、
私たちの祈るべき対象は主キリストです。
聖人たちは共に祈ってくれる存在です。
取次ぎとはこのような概念です。

聖母マリアを通さなければならないというものは
私は習っておりません。

聖人崇敬についてですが、私たちがもし運良く天国へ行った場合、
どうするでしょうか?地上を見下ろすだけでしょうか?
地上の兄弟たちのことを天国で思い、祈ると思います。
そういう部分から出て来た信仰の形態です。

聖書には暗黙の了解があると、多くの現象を通し
教父たちや主の元へ戻った兄弟姉妹は感じていました。
それを教義化して現在の形態の元が出来上がりました。

聖人に祈りを頼むのは彼らの信仰が特に優れているためです。
それから守護の役割も担いますが、これも信仰が守れるように
その方々を模範にして生きていくことを指します。
洗礼名をつけるのもこういう習慣から行われています。

聖人はイエズスと一緒に天にあって見守って下さると
信じているのがカトリック信仰の考え方です。
ですから、悪いと思ったこともありません。

プロテスタントの信仰の形態をカトリック内で裁く
意見もあるようですね・・・。残念に思います。
プロテスタントの信仰形態は聖書から導くのは容易ですね。

我々は様々な現象を古代の教父を再点検したことを
信仰しております。聖伝には聖書に語られていないものが
隠されているという考え方をしています。
聖書は初期の文献から、聖人伝は口伝を含む数々の奇蹟を
まとめたものです。