マリヤ崇敬は・・(2)

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168ヌマツダ
マリヤ崇敬は・・40 名前:名無しさん 投稿日:2001/07/13(金) 17:56
聖母マリア (青土社)ヤロスラフ・ペリカン 関口篤 訳
にはプロテスタント側のマリア認識を次のように述べています。

マルティン・ルーテルは(マリア像について)こう述べている。
「この偶像崇拝はマリアを称えるものではなく、
むしろマリアを極端に貶めこれを偶像化する性格のものだった。」
Martin Luther,House Postil,
Luthers Werke:Kritische Gesamtausgabe,57 vols.
(Weimar:Hans Bohlau,1883-),52:689.
注:Bohlauのoはドイツ語のoの上に点々のo.
スイスの宗教改革者ウルリッヒ・ツウィングリ(1484〜1531)が
1523年にチューリッヒ市に突き付けた
『六十七ヵ条のテーゼ』の第20条は、
「我々は現世以降ではキリストの他には仲介者を必要としない」
と宣言している。
この根拠は、ハイデルベルク教義問答書の言葉
「キリストは我らの仲介者」にみられる。(第六主日 問18と答)
ルーテルの盟友フィリップ・メランヒトン(1497〜1560)が書いた
1530年のアウグスブルク信条の第21条「聖者のカルト」は、
新約の言葉「神と人との間の仲介者も、
人であるイエス・キリストただおひとりなのです」を引用し、
「キリストは神の前の唯一の高僧、唱道者、執り成し人であり、
キリストのみが我らの祈りを聞くことを約束されている」としている。
『アウグスブルク信条弁明』では、
特定の目的で聖者を呼び出すことは認めていない。
したがって、聖者の中の最高位の聖母マリアでさえ
キリストの「唯一なる仲介者」という職分を侵すことはできない。
としている。
中世のマリア崇拝に対するこの批判は、
プロテスタント側のスローガン「聖書あるのみ」からまず発する。
「聖書は言い伝えより権威があり、かつ権威は聖書にのみ存する」
との認識である。
1571年制定の英国国教会三十九ヵ条は、
「聖書に基づかず、他愛なく空虚で、神の言葉に反したカトリック教義」
のリストの最後に「聖者の呼び出し」をあげている。
「権威は聖書のみにあり」の排除の原則は、
マリアと聖者たちの「執り成し」の教義だけでなく、
中世に流布された聖書に出ていないマリアと
聖者たちの説話にも向けられる。