マリヤ崇敬は・・(2)

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154ヌマツダ
>>152
>つまり68〜69年ごろという蓋然性が最も高く、それを反証
>する聖書学研究の成果は、今のところないと思われます。

>2,「テモテが釈放された」と書いてあることから
>68年のネロ帝の死後となります。
手紙と呼ばれてはいるが,
筆者、あて名、あて先などが明記されず、
それにふさわしい書出しの挨拶はみられず,
最後の部分のみがかろうじてそれらしい形式を整えているにすぎない。
手紙の様式からも遠く、表題は後代の付加とみられている。
したがって本書は手紙というよりも説教 (集) といったほうがふさわしい。

神学的内容はパウロの手紙やヨハネ文書とも異なり,独特な主張がみられる。
筆者の文体はパウロの手紙などと比べて修辞的に整い、
文学的な姿をより多く表しているので、「手紙」と言うよりも、
説教あるいは論述の著作と考えられている。

>1,エルサレム祭司たちへ語る内容の全体から考えれば
>ユダヤ教の荘重な儀式がまだエルサレムの神殿で続いていた時期
>であるのは明らかです。
この書の性質は「説教」に類するものであって、教理の解説や神学的比論
と思われる文章を含んでいる。

成立は96年頃に書かれた「クレメンスの手紙第1」に引用されているので
それ以前とみられている。
後 80‐95 年ころ,おそらくローマの教会にあてられた,
きわめて文学的価値の高い文書である。