マリヤ崇敬は・・(2)

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148ヌマツダ
>>140 >いろいろ説明しにくい矛盾が出るでしょうと言ってるんです。
今日、古本屋から買ってきたのだが、該当箇所の解説を読んでも、
「イエスに実兄弟がいても」矛盾は感じないのですが?

増訂新版 新約聖書略解(日本基督教団出版局)1972年6月1日13版、

P129、マルコ6章、六・一−六a郷里伝道、
ユダヤでは軽蔑以外の場合(士一一・一、二)、
父親が存命しなくても母の名で子を呼ぶことはなかったと言われる。
四人の兄弟をイエスのいとこと見たり、腹ちがいの兄弟と解する説があるが、
聖母童貞の教理からの解釈で、そんな無理はしないほうがよい。
姉妹たちもあって、ナザレの一家がむしろなつかしくしのばれるではないか。
母と兄弟たちがイエスを取り押さえにきたことがあったのを見ると(三・二一、三一以下)、
郷里の人々も身内の者もイエスにつまずいたらしい。

P165、マルコ15章、一五・一六−四一 十字架、
東洋では婦人がしばしばそのむすこの名によって呼ばれるが、
小ヤコブとヨセの母マリヤはその一例である。
ヤコブとヨセは本書読者に知られた人であったかもしれない。

P319、ヨハネ19章、一九・一六b−三0 十字架、
イエスは従来自分につき無理解であった家族の者たちを(マコ三・三一以下)、
信仰に導くために、母を愛弟子に託された。
それは、イエスの死後、彼らが信仰にはいっている事実(行一・一四)の
説明としての意味を持っている。