>>315 どうも!めちゃくちゃ、参考になり、おもしろいです!
このお坊さんの意見には感心させられますね。
やはり、霊的理解や宗教的理解を試みると
専門用語を使うと、楽ですね!
>もともと、子供には残酷な面がある。生き物を殺すというのは
特に男の子にとって自然な場合があるんだ。自然が無いからね、
最近は。命を確かめる機会が少ないね。
↑僕の意見ではこれと
>人間は、もともと動物的な自我と、
↑お坊さんの意見ではここが相当するのかな?
僕は社会的人格が育たなかったと言いたかったけど
お坊さんは一段進んで「大我」まで行ったか・・・・。
聞き慣れない言葉だけど意味は分かるよ。
>ただ、少年の場合、不安に耐えられずに「人間性」を破棄して解決し
ようとしたのです。学校へ行かなくても済むように、犬の真似をして
「人間をやめる」ようなものです。彼の場合、自尊心が強かったので、
犬にはならずに殺人者となり、大我を葬り尽くそうとしたのです。
大我がなければ、動物的自我に徹して、世間並みに矛盾無く暮らせます
から。ただし、大我こそが人間の本体で、破棄などできるはずがない。
だから、不安はなくならない。そこに彼の誤算がありました。
私の目には、彼の犯罪は、自分に生き残った人間性(大我)に決別
する儀式だったように見えます。
↑わかるけど、ちょっと違うような気がする。いや、その通りなのかな?
一線を越えるきっかけがあったんだね。それは別に目に見える
出来事だけじゃなく、孤独でいる(この場合の孤独は淋しいとか
行ったレベルではない。天上天下唯我独尊状態のことだ)時間の
長さとかも原因になるんだ。たしか、事件の前に夏休みがあったのかな?
それとも、不登校だったとか。