>>240 手元にちょうどいい経典がないんだけど・・・まずジャータカがありますよね。
また、サンユッタ・ニカーヤに以下のような一説がある。(中村元訳)
「そこで他の神が、尊師に対して次の詩を唱えた。・・・(略)・・・それ故に、善人と
悪人とは、死後異なったところにおもむく。悪人は地獄におもむき、善人は天上
に生まれる。」
>ガンジス川に浮かぶ泡の群れは、中身は空っぽで、本体がない。・・・・
識受想行識は本質ではないっていうことですよね。
そんなこといきなり理解できない(体現できない)人はたくさんいますよ。
つまり段階があるということ。釈迦が説かなかったというのは、天を積極的に肯定
しなかったという意味で正しい。それも無常だからね。
でも在家向けの法も説いている。以下にあげるが、私はこの訳が正しいと思って
いないことは先に述べておく。
「・・・母と父とを養え正しい商売を行なえ。努め励んでこのように暮らしている
在家者は、死後に<みずから光を放つ>という名の神々のもとに生まれる。」
(スッタニパータ)
スダッタ長者は天界にいったと記憶しているのですけど。
死後の世界のことを考えなかったら一来向のひとはどこへいくんだろうか?