マリヤ崇敬は・・

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 マタイ1:25は、普通に読めば終生処女説は出てこないでしょう。
 では、なぜカトリック教会がそういう説を採用しているかと言えば、
教会がそう信じてきたから」と言うしかありません。
カトリックでは、聖書と聖伝が信仰を形成しています。
これを否とする理論は存在しません。

 問題の部分に説明するなら、以下のようになるでしょう。
 この部分のギリシャ語(ヘオース:時間を表す『まで』+フー:
否定語)は、カトリックでは、その時以後のことまでは示していない
と理解しています。
 つまり、このテキストはイエス誕生後におけるヨセフとマリアの関係
を語ろうとはしていない、と理解します。
 ギリシャ語の用例では、何カ所かあるそうですが(ルツ著『マタイの
神学』教文館では、そういう用例の存在を認めています)、われわれの
立場では、それで十分です。
 古代の聖書学者ヒエロニムス(4−5世紀)は、マタイ22:44で
引用される詩編110の「私があなたの敵をあなたの足もとに屈服させる
ときまで」を例に、メシアの敵が屈服された後、メシアは父の右から離れ
なければならないわけではない、と述べ、伝統的解釈を擁護しています。

 何よりも聖書によれば、教会は「真理の柱」(1テモテ3:15)
なので、これまで信じられてきた解釈を、カトリック教会では尊重
しています。
どの解釈を「正しい」として採用するのかについては、教会論と密接な
関係にあるのです。

 また、マリアとヨセフの実の子が存在していたら、処女降誕も次世代
くらいの間に否定されてしまっただろうと思います。
 少なくとも子供が存在することによって処女ではないわけですから、
処女降誕の反証になってしまったのではないでしょうか。
イエスと「弟」との年齢差なんて、時間が経てば証明力をなくしてしま
うでしょう。