マリヤ崇敬は・・

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689ヨハネ
なにをいうか。
人が真面目にヘブライ語の意味から説き誤訳をただしたというのに。自ら調べよ。
今後も聖書は改訳が進むであろう。
新共同訳の次にも続々と改訳が待っている。
ついにはもとの意味が極めて狡猾に「緩和され」、
あるいは「恣意的に意味を曲げられ」、
キリストの贖罪の意味すら失わしめる時代が来る。
これは警告である。
そのときにはプロテスタントの真の信仰者にとっても悲劇の時となるであろう。
翻訳された聖書の字句ばかり盲信し、聖霊との交わりを怠るならば、
決して真実に至ることはできない。字句もまた聖霊の言の象徴に過ぎない。
聖書の意味が真実了解できるのは、
あなた方が聖霊との交わりをし、聖霊の言葉を感得するときのみである。
新共同訳をうのみにするのもまた偶像崇拝である。
聖書は霊感によって記されたものである。
その真意を的確に啓示して下さる聖霊を無視するなら、
あなた方はクリスチャンと呼ぶことはできない。