マリヤ崇敬は・・

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678ヨハネ
>>668

「まで」と訳されている語は、『それっきり、いつまでも』を意味するヘブライ語の慣用句です。翻訳されている語だけであれこれ議論していると誤解しますよ。例を幾つかあげましょう。

創世記八:6、7のノアが放ったカラスについて。
「…からすは出入りしていたが、水が地上から引く“まで”、戻ってはこなかった」

どの英訳聖書を見てもこう訳されていますが、これでは意味が通りません。これは『水が地上から引くまでは箱舟を出入りしていたが、引いてからはそれっきり戻ってこなかった』の意味です。鳩も戻ってはきませんでしたね。

イザヤ書46:4
「あなたが年をとる“まで”(邦訳聖書によっては“とっても”とも訳してあります)私は同じようにする」と神は言われていますが、老年以後、死んでからも永遠に、神は同じようになさるのです。

詩篇110:1のキリストに対する神の言
「敵をあなたの足台とするまで、私の右の座についていよ」
サタンが滅ぼされたら座を下ろされるという意味ではありません。永遠にキリストは神の右の座についておられるのです。

聖書の語法を知る必要があるでしょう。