マリヤ崇敬は・・

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665名無しさん@1周年
 ファチマでは幻視者は固有の意味での脱魂をしていません。ルルドでは、この固有の意味で脱魂の現象が見られました。ルチアが聖母に語るときには、大きな声で語り、周囲にいる人々は彼女の声を聞くことが出来ました。

 ファチマでは肉体上の変化は乏しいが霊魂上に生じた霊的変化には特筆すべきものがあります。

まず、天国へのあこがれです。彼らは、自分の目で無原罪の童貞女を見、全くこれに引きつけられました。その美しさに夢中になりました。彼らをある熱烈な望みが掴んではなしませんでした。天国に行く!これでした。ルチアが聖母に尋ねた最初の質問のうち、その一つはこのことでした。

『それから私も天国に行くでしょうか。』

『はい、あなたは行くでしょう。』

『それからヤシンタは?』

『ヤシンタもです。』

『それからフランシスコは?』

『フランシスコもです。でも、フランシスコはロザリオをたくさん唱えなければならないでしょう。』

 6月13日、第2の御出現に時には、ルチアはフランシスコとヤシンタの名前でもう一度聖母にこう言って尋ねました。

『私はあなた様に、私たちを天国に連れていって下さるようにお願いしたいと思います。』

『はい、私はヤシンタとフランシスコを、もうすぐ天国に連れて行くでしょう。でも、ルチア、あなただけはもうしばらくここに残ることでしょう。イエズスはあなたを使って、私を知らせ、愛させるようにしたいと望んでおられます。彼は、世界に、私の汚れなき御心への信心を確立させたいと望んでおられます。』

 この天国へのあこがれは、この御出現が天からのものであると言うことの、議論の余地のない証拠の一つです。この後、3人の牧童の全生涯は、この天国へのあこがれによって、深く性格付けられています。ある日、フランシスコは将来何になりたいのかと聞かれました。司祭になりたいのか、それとも何か別の職業がいいのかと。するとフランシスコは、天晴れにもこういった。

『いいえ。僕は司祭になりたくありません。』

『そうかい、じゃあ、一体何になりたいのかい。』

『僕は何にもなりたくありません!・・・僕は死んで天国に行きたいのです。』