マリヤ崇敬は・・

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238名無しさん
>>190 人が死人から「復活すれば」天の御使いだし、御声を聞けば生きる。が、
マルコ 12:25
人が死人の中からよみがえるときには、
めとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。

ヨハネ 5:25
まことに、まことに、あなたがたに告げます。
死人が神の子の声を聞く時が来ます。
今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。

たいていは死んだ者との交渉は新約にも旧約にもない、
「生きている」神に呼び求めるものだ。
「主は生きておられる」と言う呼びかけのように。

申命記 26:14
私は喪のときに、それを食べず、また汚れているときに、
そのいくらかをも取り出しませんでした。
またそのいくらかでも死人に供えたこともありません。
私は、私の神、主の御声に聞き従い、
すべてあなたが私に命じられたとおりにいたしました。

詩編 88: 5
死人の中でも見放され、
墓の中に横たわる殺された者のようになっています。
あなたは彼らをもはや覚えてはおられません。
彼らはあなたの御手から断ち切られています。

詩編 88:10
あなたは死人のために奇しいわざを行なわれるでしょうか。
亡霊が起き上がって、あなたをほめたたえるでしょうか。セラ

イザヤ 8:19
人々があなたがたに、
「霊媒や、さえずり、ささやく口寄せに尋ねよ。」と言うとき、
民は自分の神に尋ねなければならない。
生きている者のために、
死人に伺いを立てなければならないのか。

イザヤ 38:11
私は言った。私は主を見ない。生ける者の地で主を見ない。
死人の国の住人とともに、再び人を見ることがない。

ルカ 9:60
すると彼に言われた。
「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。
あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」