>>216 >私はマリヤ様は好きでも嫌いでもありません。
正しく、そのように思えますね。
以前から指摘しているように、
「マリヤ崇敬の問題は単にローマ・カトリック教会の糾弾材料に過ぎなかったわけです。
ですから、マリヤ崇敬でなくても、教皇の首位権や無謬性のような、
ローマ・カトリック教会の糾弾材料であれば何でも良かったわけです。」
が本音ではないのでしょうか。
>>95 >愛する故に、悔い改める機会を与えている。
という大義名分に従って。
あなた方が同じ福音派でしたら、もう少し
>>224 を参考にされたらいかがでしょうか。