マリヤ崇敬は・・

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22名無しさん@1周年
私たちは,聖書と伝承によって、
「日曜日を休日とする」、「マリヤ崇敬」
などの教理を矛盾無く保っています。
勿論、聖書に反するものでない限り、
聖書に書かれていない事柄は、それはそれで素直に認めてのはなしです。
聖書とは本来、信者一人ひとりが手元に持てるものではありませんでした。
今日のように印刷が発達する以前は、貴重な手書きの写本を教会で保管し、
必要な時に神父が読んで聞かせ内容の解釈を説教で話すというものでした。
一方、福音派の方は、
「福音派では、聖書を唯一の信仰基準としています。」
「聖書に基づいているか否か。」
という独自教理を持っており、福音派自身の教理に対してさえ懐疑性を生み出しています
(例えば、日曜日を休日とするなど)。
まるで、自己免疫に侵されるリュウマチのような状況です。

福音派の方の一人の声に
>カトリックのような反キリストの寄り集まった教会は悪魔の巣窟でしかない。
とありましたが、
結局、マリヤ崇敬の問題は単にローマ・カトリック教会の糾弾材料に過ぎなかったわけです。
ですから、マリヤ崇敬でなくても、教皇の首位権や無謬性のような、
ローマ・カトリック教会の糾弾材料であれば何でも良かったわけです。
福音派の皆さん、もういい加減にするべきです。