マリヤ崇敬は・・

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187名無しさん@1周年
>>180これで私はカトリックの者ではないと証明されたでしょうか?

まず、崇敬と崇拝の語は意味が大きく違います。
私はカトリックが本来の崇敬に戻せばよいという考え方です。

崇敬とは本来の意味は聖なる導きに応じた事に関しての
記念の意味合いの語ですので残しても差し支えはないと感じます。
しかし、内容がカトリックの場合は、崇敬が過ぎて付け加えすぎたのです。
「人の中にあって神に祝福された女性。ありがたい」と思う気持ちが
大きく膨らみすぎてこんな結果を招いてしまったのです。
もちろん、あなたの指摘のような事もあったかと思います。

神の母と呼ぼうが無原罪としようが、彼女は一般の女性として生きました。
そのことはどうあがいても無理があります。
注目点を当てれば、この問題は解決します。

聖書は変更できませんから、聖伝を作り出したと思われます。
ルターはそこにもう一度注目点を置いたのです。
聖書から導き出せば容易に分かる事です。
しかし、ルターは尊敬が過ぎてユダヤ人たちを多数虐殺しました。
この点がかなり痛い部分ですね。