親鸞会はカルトだ!!

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685名無しさん@1周年
659さんの説は浄土真宗の他力の信心の世界では無いと思います。

>蓮如上人は信心決定をゴールと仰せではありません。
信心決定した人には、ご恩に報いるために念仏称えなさいよ、と常に仰せです。
御文章にも
「このうへには、なにとこころえて念仏申すべきぞなれば、往生はいまの信力によりて御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもひて念仏申すべきなり。
これを当流の安心決定したる信心の行者とは申すべきなり。」と何回も出ていますよね。
親鸞聖人も「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」と仰せです。
他力の信心獲たらそれでおしまいではなく、念仏称えて阿弥陀仏のご恩に報いなさいよ、と仰せなんです。
せっかく頂いた他力信心も、ほっておいたらもったいないです。
なぜならば阿弥陀様が泣いているんですよ。
聖人さまのように偉大な方はともかく、煩悩まみれのこの私達には念仏相続は非常に困難なことなのです。
ですから信後も油断することなく、聴聞し念仏して、溝さらえをしなさい、と蓮如上人は仰せなのです。

この様な解釈は誤りだと思います。
「このうへには、なにとこころえて念仏申すべきぞなれば、往生はいまの信力によりて御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもひて念仏申すべきなり。
これを当流の安心決定したる信心の行者とは申すべきなり。」
「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」
とは真実信心の世界をおっしゃったお言葉であり、真実信心を獲得すれば常念仏の身となり、自力の計らいと関係無く仏恩報ずる身となる事を言われています。
浄土真宗の口称念仏は御恩報謝の念仏である事を明らかになされています。

>「他力の信心獲たらそれでおしまいではなく、念仏称えて阿弥陀仏のご恩に報いなさいよ、と仰せなんです。」

では無く、「他力の信心獲たら、念仏称えて阿弥陀仏のご恩に報いる身となる」です。

>なぜならば阿弥陀様が泣いているんですよ。
仏恩奉ずる身となるのに、阿弥陀様が泣かれる道理がありません。全く逆です。

>ですから信後も油断することなく
油断も何もありません。信後の者は常念仏の身です。たとえ口業に表れなくてもです。