親鸞会はカルトだ!!

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645名無しさん@1周年
>>637
御文章2帖目1通のことですが、私は637の解釈が正しい思いますが…。

ある本の現代語訳には、
「さて、この度の七日間の報恩講において、多屋の妻たちもまたその外の人達も、おそらく信心を決定されたことかと思います。
たいへんに喜ばしいことで、本望これに過ぎたるものはありません。
けれども、そのままに打ち捨てておくならば、せっかくの信心も消え失せてしまうでしょう。
いく度もいく度も信心の溝をさらって、弥陀の法の水を流せという言葉もあったでしょうか。」

とあります。
「大略」とは「おおよそ、だいたい」ということで、多屋の妻たちのうちほとんどの人が信心決定したであろうと蓮如上人がお聞きになったことに対して仰せられた言葉です。
でなければ「めでたく本望これにすぐべからず」とあるはずがないでしょう。
蓮如上人が異安心を得た人を前にして、これ以上の本望はない、と仰せになるはずがありません。