親鸞会はカルトだ!!

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602名無しさん@1周年
>>506
>1 信心決定とはハッキリする一瞬の体験なのか?
>2 信後は自力の心が一切起きなくなるのか?
>皆さん親鸞会の教義で一番疑問を持たれるのはこれらの点だと思います。
>獲信はハッキリしない、信後も自力の心は起きる、が正解です。
>建暦元年(1211)親鸞は流罪を許されるが師の法然が死去したこともあって
>京都へ帰ることを断念し、「辺鄙の群類を化せん」と関東へ教化伝道の旅にでる。
>その途次、上野国(群馬県)佐貫で『浄土三部経』一千部を読経発願したが、
>それは自力の信心以外の何ものでもないことを痛感し、慌てるのである。
>捨てたはずの自力の信心に頼ろうとしたあさましさ。まだまだ本物ではないという自覚。
>そのことは彼の信心の大きな転機、回心となった。
>それがきっかけとなって「他力の中の他力」の念仏、すなわち絶対他力の念仏を得るに至るのだ。
>以下略。

こんな事言っているのが異安心の証しです。
こんなん親鸞会で真面目に聴聞してれば分かるような基本的な事です。
思うにあんた真面目に聴聞しておらんでしょう。