αマリヤ崇敬は間違いであるω

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180名無し

それは短絡的な発想である。確かにイエスは聖霊によって身ごもり聖霊によって
知恵と知識を増したのであって、そちらの方面では親には依存しなかった。そういう
意味においては、親が誰でもよかったというのは正しい。しかし、イエスは人のかたちを
とられてお生まれになったのであるから、そこで家族との親しい交わり、人間の愛情を
育まれた。マリアはそういう救い主の育ての親となる特権を享受した一女性に過ぎないのであり、
ダビデの家系にあって、常識的でユダヤの神への信仰に深い女性であれば誰でも良かったのである。
イエスは旧約聖書の預言にしたがってダビデの末からお生まれになった。もちろんダビデも
その末のマリアも普通の罪を背負った人間であって、ことさら崇敬を受ける対象になることは
ありえないのだ。