阿含宗という宗教10

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45ヌマエビ

「念力の護摩」 21.奉書紙をなぜ取り替えなかったのか

やり直しをした念力の護摩(3-2)(4-2)では、護摩木を積み上げ直しているだけで、
奉書紙を取り替えていません。
一度目で水をかけて、発火してしまったのですから、ラン字の一部はすでに焼け
ています。
トリックで確実に点火するためには、奉書紙も取り替えたほうが得策です。
護摩木を積み直すのですから、奉書紙を取り替えることは難しくありません。
しかし、桐山氏は取り替えませんでした。
やり直しをした結果、燃え残ったラン字の一部から発火したと信者が証言してい
ます。
取り替えないことは、一見、トリック説を否定しているかのように見えます。

理由は簡単で、取り替えて、最初の奉書紙が脇導師など、護摩の後かたづけをす
る人たちの手に渡ってしまうのを防ぐためです。
未使用の奉書紙は三宝に恭しく乗せられて、誰も手を触れませんが、使用済みの
奉書紙は信者の手に渡り、半ば信仰心から、詳しく観察されるおそれがあります。

奉書紙は確実に燃やしてしまうか、三宝に載ったまま、桐山氏の手元に戻させて、
証拠を隠滅する必要がありました。
本当は取り替えて、新しい奉書紙に水をかけたほうが確実に発火するはずでした
が、リスクを回避するためにも、確実に奉書紙を燃やすほうを選びました。

同じ護摩壇でのやり直しはこの二度しかありません。
ラン字から発火しただけで消えた場合、再度挑戦しても、発火する場所が前によ
りも小さくなっていますから、発火する可能性が低くなります。
三度の成功した後の念力の護摩(8)(9)では、発火して、一応、体裁は保てたのだか
ら、危ない橋を渡るよりも、奉書紙を確実に燃やす道を選んだのでしょう。