無量寿会

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909名無しさん@1周年
会費その3
 お釈迦様の時代には、貧乏で、釈尊に供養するものもない人が、自分の髪の
毛まで売って、説法を聴聞した。そういう人は多々あったという。
それを『貧者の一燈』と言うのである。
 現代の人は、金がない金がないと口癖のように言いながら、身にどれだけの
者を纏い、どれほどの美食を貪り、娯楽のためにどれだけの費用をつかうのか。
生活が苦しいと言っても、雨露は凌げるのであろう。三度三度の食事も満腹に
なるだけ食べているのであろう。それ以上、何を望んで苦しんでいるのか。
 目分が生きているのではない。
皆、『仏に生かされているのである』
それがまだ解らないとは、実に嘆かわしい限りである。
 会費が一律、一口2千円というのは、会費は布施ではなく、我々の娑婆で言
えば、最低生活費である。
 どんなに貧しい人でも、最低生活に必要な経費というものがある。
 教団が、全ての会員か平等である為には、会費というものを設け、一律にし
なけれぱ、平等にぱならない。金持ちだけが金を出し、それによって教団が、
運営されるならぱ、貸乏人は隅の方で小さくなっていなければならぬ。
そのような事では、教団の乎等ぱ保てない。
その為にも、教団の一員として、会員として名を連ねる人は、皆、会員一口
二千円以上を出していただくのである。そして、それによって教団は、運営され
ているのである。
 故に会員たるべき人は、少しも遠慮する事なく、我が家のつもりで、参詣して
頂きたいのである。
 又、生活に裕がある人は、会費を一口と言わず、二口でも三口でも十口で
も、多くかけて頂きたい。
 それによって、よりよい教団となるであろう。そういう人の清らかな心が
寄り集まってこそ、素晴らしい教団となるのである。