無量寿会

このエントリーをはてなブックマークに追加
908名無しさん@1周年
会費その2
 この教団も、他人のものではない。自分達の家である。そう言う自覚があれば
当然、自分達で費用を出し合い、守ろうという気が起こる筈である。
ぜっぼうちょうもんためすわ養可II‐・L、途ユー時J敷
 自分達が説法を聴聞する為に座る畳である。その為の屋形である。それが、
ボロボロでほこりまみれであって、どうして清浄な心持ちになれようか。
 そんな事はどうでもよい。それよりも「二千円が勿体ない」とか「生活が苦
しいから払えない」とか、いつも遅れがちな人は、信仰する心のない人である。
 それで命終まで信心を持ち続け、往生が遂げられようか。覚束ない事である。

『人として、何が→番大切であろうか』

 その一番大切な事に、大切なお金を使うのに、何の借しい事があろうか。
 今時、子供でも二千円の金を喜ぶであろうか。二千円の金を払えないという
人があろうか。
人によってぱ、借金しているから会費が払えないとか、家を売ったら払えると
か言っている者もある。
 我々の信仰を根本で支える為の教団を維持する会費である。その会費が遅れ
るような事で、果たして同行と言えようか。それでも同行と言うなら、そのよう
な同行は、ひとりたりとも、会には必要ない。
 私は、金額の間題をとやかく言っているのではない。心の問題を言っている
のである。どうしても苦しくて払えないという人まで、無理やりに取ろうと言
うのでもない。払えないのなら、前もってその旨を申じ出て頂ければ、そのよ
うに取り計らう。それを、何の連絡もなく、催促ざれて、やっと重い御輿を上げ
るような事ではその気がないと思われても仕方がないのではないか。