無量寿会

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907名無しさん@1周年
会費その1

一月2千円の会費は布施ではない。

我々同行が、弥陀の浄土へ行く為の願船である『教団』を維持し、運営し
又、正法を護持し、自分の親兄弟・子孫を始め、他の一切の衆生を済度する
為に、必要な経費である。
 娑婆で、お稽古事をしても、月に五千円や一万円はいる。又、子供の教育費
には、何万、何百万かけても惜しくはないという人もいる。着物や服に、何十万、
何百万かけても惜しくないという人もいる。
 それにも拘らず、一月二千円の会貫が惜しいというのは、本当の信仰心のない
証拠ではないか。
 その会費も、一ロニ千円である。それを、ニロ、三口と掛けているものが、
どれだけあろうか。
 最近では、どの家庭も皆、新聞を取っていると思う。その新聞には、何の
役に立つ事が書かれているだろうか。そこに教えがあるのか。
 欲望を煽り、好奇心をそそる内容か、又は、交通事故や犯罪など、悲しい
嫌な事件の記事ぱかりである。清々しくなるような内容や、「なるほど」と
唸る教えなど、滅多にお目にかかれない。
 それを読んで、心が洗われるだろうか。却って毒されるのが関の山では
ないのか。その新聞代に、一月、二千円も三千円も使い、心料を養う信仰に
お金を使うのは勿体ないとは、一体、どういう事なのか。
 その会費も、人の為に使うのではない。自分達の為に使うのである。自分達
の心の拠り処としての教団の為に使うのである。何の借しい事があろうか。
 自分の家であれば、住み心地の良いように部屋も飾り、調度品も揃え、掃除
もして、住み良い環境に整えるであろう。又、給料の一部を、住居費として
毎月、某かを、充当するであろう。