無量寿会

このエントリーをはてなブックマークに追加
858名無しさん@1周年
いま、我々未来の置かれている状況は、非常に厳しく後続者は、寺の将来に夢を持てない時代下に
あります。寺は葬式や法事だけに頼っていては立ち行かないことは分かっています。しかし、門徒
衆は、年々高齢化し、若者の心は寺から離れています。生活は豊かになり、とりあえず家と車とカ
ラー・テレビと携帯電話があれば、結構豊かそうな気分に浸れます。四苦八苦という実感からはほ
ど遠い生活で、極楽浄土といっても、さほど恋いこがれるところでもなくなっています。浜崎あゆ
みの音楽をCDで聞いていれば最高という若者に、お念仏はもはや救いでも何でもありません。
だからと言って、奇をてらって、寺でライブをするほどの有名寺院でもないし、ボンズ・バーをす
るだけの勇気もない。
しかし、北陸の地を中心に念佛の教えをひろめた蓮如聖人の「後生たすけたまえ」の言葉は、携帯
の着メロにかき消されてしまい、願う人すらいない。
寺は、共同体である村の共有財産であり、僧侶は村民から信託を受け、村人に安心を与え、村人は
その生活を布施で支えてきた。今や、その共同体は年々高齢化しており、その終焉とともに、寺は
存立の基盤を失おうとしている。
更に、都市部では、葬祭会館が寺にとって代わりつつある。葬送の儀式は、今やホテルにおいて無
宗教スタイルの「お別れの会」が新たな宴会場ビジネスの柱になりつつあり、益々宗教離れに拍車
がかかっている。
859名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 10:11
人は結婚をしなくなり子供を作らなくなった。一方で、葬式をしなくなり、死後の世界を顧みなくなった。
我々にとって、現代は八方塞がりの観がする。そんな状況の中で、無量寿寺だけは、法華経ではなく念佛で信者
を着々と増やしている。しかも、これほどのデフレと不況の嵐が吹きすさぶ中で、全国に別院を建立し、破竹の
勢いである。
一体何が違うのだろうか。無量寿寺を妬み、潰しにかかっているグループがいる。しかし、無量寿寺を潰して寺
が再び仏法繁盛の賑わいを取り戻すかというとそんなことはない。根本原因を解決しない限り結果は変わらない。
それでも、潰しにかかるのは、それが本山に対する我々末寺の不満をそらす戦略だからである。そもそもの原因は、
ドロドロの内部抗戦と政治が宗教を蝕んでいる状況と新たな分裂と裁判沙汰の繰り返しにある。宗祖聖人の御影の
帰属が争われるようではなにをかいわんやである。現生利益を求める新興宗教なら内部抗争がエネルギーになるこ
とはある。しかし、念佛行者は一丸となったときに真価を発揮する。一向専心こそがその真骨頂であり、戦国の世
に仏国土を築いた力である。
無量寿寺や親鸞会との戦いは、全宗門が一丸となっての戦いであり、教義における正面切っての対決でなくてはな
らない。そのためには、姑息な手段や汚い手段を使ってはならないのである。カルト呼ばわりをしたり、犯罪教団
のようなデマを流したり、住民運動を裏で煽るようなことをしてはならないのである。そのような、仏教者にある
まじきやり方で一丸となれるはずがない。このスレッドを見ていて、そのことを強く感じたので、あえて、苦言を
申し上げた。失礼の段お許し願いたい。