無量寿会

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858名無しさん@1周年
いま、我々未来の置かれている状況は、非常に厳しく後続者は、寺の将来に夢を持てない時代下に
あります。寺は葬式や法事だけに頼っていては立ち行かないことは分かっています。しかし、門徒
衆は、年々高齢化し、若者の心は寺から離れています。生活は豊かになり、とりあえず家と車とカ
ラー・テレビと携帯電話があれば、結構豊かそうな気分に浸れます。四苦八苦という実感からはほ
ど遠い生活で、極楽浄土といっても、さほど恋いこがれるところでもなくなっています。浜崎あゆ
みの音楽をCDで聞いていれば最高という若者に、お念仏はもはや救いでも何でもありません。
だからと言って、奇をてらって、寺でライブをするほどの有名寺院でもないし、ボンズ・バーをす
るだけの勇気もない。
しかし、北陸の地を中心に念佛の教えをひろめた蓮如聖人の「後生たすけたまえ」の言葉は、携帯
の着メロにかき消されてしまい、願う人すらいない。
寺は、共同体である村の共有財産であり、僧侶は村民から信託を受け、村人に安心を与え、村人は
その生活を布施で支えてきた。今や、その共同体は年々高齢化しており、その終焉とともに、寺は
存立の基盤を失おうとしている。
更に、都市部では、葬祭会館が寺にとって代わりつつある。葬送の儀式は、今やホテルにおいて無
宗教スタイルの「お別れの会」が新たな宴会場ビジネスの柱になりつつあり、益々宗教離れに拍車
がかかっている。