無量寿会

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768名無しさん@1周年
>>761
民主主義において大切なのは、絶対的正義とか全体的真実ではないでしょう。人間が絶対的な存在でない以上、絶対に正しい判断をする人はいないという前提に立って、神ならぬ身である人間が互いに協力しあって、せめて相対的正義ととか相対的真実によって生活を律していこうと、多数決や、手続き正義などのルールを決めたのが民主主義であり、法治国家といわれるシステムでしょう。貴方がいわれるまでもなく、唯一絶対のものを真実というなら、それは、無量寿寺だけのものではないでしょう。その通りです。しかし、何を信じるかとか、信じないとかの自由を認めているのが、現代社会での信教の自由です。無量寿寺の人が信じていることを貴方は信じない自由があります。彼らが真実だと思うことは自由ですし、貴方が真実でないと思うことも自由です。疑問を投げかけることも自由です。でも、そこには、手続き的正義という関門があります。やり方が間違っていなかったかと言うことです。だから、嘘や、誇張があると全体が疑わしく見られてしまうのです。無量寿寺の中身については、勧誘された人がその真偽を判断すればいいと思います。貴方は、その際に騙されるといけないので、事前に情報を提供しておくという善意で云っておられるのかも知れませんが、「太陽は誰にでも見える」というのは明らかに嘘と言われても仕方がありません。真夏の日差しの強いときに、真似をする人がいたら、真似をする子供がいたら、視力障害が起こる可能性がある以上、“嘘”と言われても仕方がないのではないですか。