高橋佳子のGLA・TL人間学について 3

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135信者ではありません。
関口知宏さんのHPのBBSから引用してきました。

>比べちゃダメなんだよ。せっきーを見て、自分より恵まれてると思う人は、また、せっきーが「僕は不幸だ」
>と言っているように見える人は、他人と比べてまさっていると思える時しか幸せを感じられない人だよ。
>恵まれてるか不幸か、その源は、他人と自分の比較です。そしてそれは、驚くほど常識的な感覚として
>普通に受け入れているんですよ。比較はそのまま、真実への無関心に直結です。他人の真意を汲まないんですから、
>これが人々の孤独と苦難の原因です。『比較』を去って『共感』を目指すこと、それがせっきーだけじゃないみんなの
>共通目的なはず、そのことを訴えたかったのです

>逆にこれは、神様の慈悲の賜物だとせっきーは思います。誰にも理解されないほどに孤独ということは、
>第1に自分にしかない個性があるということだからです。第2にその自分の個性が人生を懸けて発掘するにふさわしい
>偉大なものである証拠だからです。簡単に癒されるくらいだったら、自分の個性よりも苦難の方が人生の答えで、
>メインだということになり、自分にしか出来ないことがあるという、神様が用意した本物の奇跡を、自ら否定することになります。

>よく『癒しの』と言いますが、本当に癒されたと感じるのは、自分の心です。自分の心の中に、癒す力があるのです。

差別発言があった頃からココを覗くようになりましたが、この様な内容がGLAの教えかどうかは分かりませんが
普通、何の宗教にも入信していない人間から見るとこの内容が宗教的な記述である事が感じ取られるのではないでしょうか?
信者の方は、この内容を見てGLAの教えなのかそうでないかお分かりになられるかと思います。

わたしは、宗教とは何なのかよく理解できません。こういう内容のことは、現実に生活していれば自ずと分かっていくもので
いちいち言葉にし他人に言われなければ分からないことではないと思うからです。
自分が苦しい時何かにすがりたくなる気持ちは理解できますが、文章にされたり、言葉にして語られると非常に理屈っぽく
頭がおかしくなりそうです。