浄土系(南無阿弥陀仏)がなぜ流行らない?

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365一遍ファン
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具体例になりますが、ここに飢えて苦しんでいる人がいるとします。
そして、私の手にはパンがある。私ができる最高のこととは、念仏す
ることではなく、パンをその人に与えることです。しかし、もし家に
自分の母親が飢えて苦しんでいて、パンを持って帰らねばならないの
なら、話は変わってくる。パンを半分だけ分け与えるか、それともその人を
見捨てるか。どうしようもなければ、念仏するしかない。「罪深き私を
どうぞお許しください」の悔悟の念仏です。

「もしかしたら、この人が苦しむのは仏からの試練かもしれない」と
いうのは単なる自己正当化のための言い訳です。そういう人は、阿弥陀
如来から全く同じ理由で地獄へ落とされても文句が言えない。それが
因果応報というものです。