浄土系(南無阿弥陀仏)がなぜ流行らない?

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228名無しさん@1周年
『顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽』(正信偈)
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。

龍樹(150-250頃)は、『十住毘婆沙論』(『華厳経』の「十地品」の注釈書)の中で、
仏教を「難行道」と「易行道」に分けています。
「難行道」というのは、厳しい修行をして、長い時間かかって覚りを開く教えで、これを
「陸路を苦労して一歩一歩進む難行そのもの」とたとえています。
「易行道」というのは、「船に乗って水路を行くように楽に覚りを開く道」と言っていま
す。
阿弥陀さんの救済を信じれば、苦しい努力をしなくとも、自然に覚りを開く人となれるん
だから、そちらの道を選びなさいと自分の努力を捨てる道を勧めているのではないでしょ
うか?
229名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 10:48
>>223
『道綽決聖道難証 唯明浄土可通入』(正信偈)
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。

中国の道綽禅師が『安楽集』という本を書かれて、その中で仏教を聖道門と浄土門とに分
けています。
聖道門は、浄土教以外のすべての仏教で、自分で厳しい修行をして悟りを開こうとする考
え方(教え)。
道綽禅師は、
「聖道門は確かに立派な教えだけれども、それをとても成し遂げることはできない。今、
本当に仏になろうとするなら、もはや浄土教しかない」
と断言されています。

さらに
『万善自力貶勤修 円満徳号勧専称』(正信偈)
万善の自力、勤修を貶す。円満の徳号、専称を勧む。

「自力の修行はいくらやってもムダ・役に立たないから、ただ念仏しなさい」と人々に勧
められています。
現代語で言えば、頑張るな、努力するなと言われていると思います。