世界真光文明教団(真光関係者集合!)

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431名無しさん
>>422

きみにとって宗教や信仰というものは、ビタミン剤みたいなもんだろう?
飲んでも飲まなくても別に死にはしないだろうから、命がけであろう
はずがない。
おれが示した「信仰」というものにカルトを感じたならしかたがないしな。
それこそ「命がけの信仰」の実相がそこにあるということをきみに示した
かったのだが、もはや無理のようだ。

とは言いながら、三河武士氏も上記で触れてるが、きみが以下に
書き込んだ内容はきみが宗教に身をおく者であることにいささか疑問を
感じさせるものだぞ。
ましてきみは指導する立場なんだろ? 不愉快な気持ちだよ。

>しかし実際は江戸時代と違いますから、
>本当に死ぬなんて事はあり得ないので、
>それなりの神向姿勢が問われるのでは。
>本当に集団自殺しただとか、
>テロを起こしただとか、
>そういうのは信仰以前の人格の問題。

>何も犯罪を犯すのは、その人自信の問題じゃないかと

やはりきみの信仰に対する理解が、いかにそれを軽んじてきたか
がよくわかるよ。

人智を越えた場所にある神智仏智に触れるために、人は信仰をもつんじゃないのか?
いわんや「信仰」の世界というものは、「理性」で理解する世界じゃないんだぜ。
信心に火が付いている者とそうでない者とでは、いい悪いは別にして、その存在は
著しく異なるはずだ。 違うか?

もしかりに、”信心の拠り所になるモノに「間違い」があったらどうなるか?”
その信仰者がその信心に基づいた行動様式を取る、という可能性をきみは見逃し
てるんだよ。

はっきり言うが、"自分に合わなければその信仰を捨てればいい"とまで言い
切ったきみでは、しょせんそれは線香花火のようなもんでしかないわけだから、
信仰とは何かを人前で語ることは絶対にできない。
つまり、きみは、きみで言うところのカルトにはならないかもしれないが、
その代わり信仰者にもなれないということだよ(笑