αマリヤ崇敬の間違いを正すω

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715あー ざっくばらんに聖書から・・・
 カトリックが、聖書と共に教会生活と教会の教え(教父など)を重要視する事をプロテスタントに
批判される事があるが、それは教会の伝承に生きることによって聖書の意味が明らかに
されると考えるからなんだ。マリア様については、その母と父がアンナとヨアキムである
ことさえ、カトリック信者には常識であるが、聖書をいくら読んでみても書いてあるわけではない。
これは教父の著作や伝承によって自然に教会内で伝わっている事柄である。

 マリア崇敬は、基本的には聖書の記述とその出来事にいくつかの根源が見られると自分は
理解している。1つは大天使ガブリエルがマリアに言われる言葉から「天使祝詞」の
祈りは始まる[ルカ福音書1:28 『天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、
恵まれた方。主があなたと共におられる。」』]

 また、カナでの結婚式の場面で、まだ時満ちていないにもかかわらず、母マリアの
“取次ぎ”によって瓶に注がれた水をワインに変えるという奇跡を行われる。
[ヨハネ福音書2章3節以降 参照 引用略]

 さらに>>320で述べたように、愛する弟子に、「母」を託し、「母」にも
「愛する弟子」を託している事実。その主イエススの言葉を行おうとする信仰
の実践としてのマリア様への崇敬。

 これら3つがすぐに思い起こす事の出来る、マリア様を大切にすることへの
聖書から導ける根拠だ。それは、聖書本文とあいまって、聖伝と一緒に生きた
ものとなり良い意味での「崇敬」として大事にされているのだ。マリア様を
敬う事や取次ぎを願い求める事は、偶像崇拝ではない。かえって、ないがしろに
するのはいかがかと自分は思う。