αマリヤ崇敬の間違いを正すω

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375Joy
>>373
やはりすれ違いですねーー(^^;)聖書が何を言わんとしているか
を真剣に私は考えています。私が育ったプロの影響を受けてるから
だといわれればそれまででしょうが、あくまで、「パウロ書簡に見
るマリア崇敬」というドグマが先でもなければ、「マリヤ崇敬の間
違いを正す」というドグマが先でもないという立場で解釈したいと
いう立場をとるつもりです。とはいってもプロとしてのバイアスは
かかってるでしょうけども。
で、意見を申し上げると「聖母を非常にあなどった解釈をしておられ
ます。」とおっしゃる。ほんとにわからない。他に子供をもうけることが
どうしてあなどることになるのか。
で、あなたがいつかだしていたマルコ3:35はあなたの言うように読もうと
思えば読める。またルカ8:19もそう読める。これはとにかく先入観なしで
読んだ場合2つの説どちらでも取れないこともないといってるだけです。
ですが、マタイ12:46ー50を読んでみたら、あなたの言うような説では
どうよんでも不可能です。
イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいこと
があって外に立っていた。そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と
御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。
しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたし
の兄弟とはだれか。」そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。
ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心
を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」
イエスが指したのは母たちではなく弟子たちです。