αマリヤ崇敬の間違いを正すω

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371Joy
何度も念を押すけど、私はマリア崇敬にどうこういうつもりはありません。
聖伝や奇跡のことを言われてもまったくの素人ですし、ああそうですか
というほかは無いと思っていますからね。
>>303のようなカトリック信徒には何も言いません。
しかし、聖書の不適切と思われる引用の仕方は、黙っておれない。
異端裁判所がSDAは、発言するなといってるが何故だろうね?
エホバの証人のように聖書以外の冊子を持って語るつもりも無いし、
聖書のみで語っていきたい。異端、大いに結構。マルチンルター先生も
異端の烙印を押されたのだから。聖書のみ、でいきます。

これは誰かへの攻撃ということではなく対話の中で目に付いたものを
ピックアップし、一つ一つ聖書から反論していきます。聖書を引用して
いないといわれましたので、じっくり行きます。

「時が満ちると、神は、その御子を女からしかも律法のもとに生まれた
ものとしてお遣わしになりました。」(ガラテア4:4)というのが、パウ
ロのマリアに対する信仰告白だと、言う意見がありました。しかし、同
じ4:21では象徴的にハガルとサライの話が出てきますが、サライに象徴される
「天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これは私たちの
母です。」という聖句はどう思うのでしょう?
ウルトラCでこれはマリアだなんてこじつけは無いと思いますが。
4章全体をみると、私たちを自由な身の女から生まれた子と
するために、(31節)イエスは律法のもとにある女から生まれたと、
パウロは言ってるのです。これが聖書の流れに沿った解釈だと思いま
すがいかがでしょうか。まっとうな批判はお受けいたします。