αマリヤ崇敬の間違いを正すω

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305聖母の騎士
 聖母マリアがただの人間ではないことを証明しよう。証拠は黙示録にある。
 ヨハネ黙示録12章1節には、天の壮大なしるしとして「女」が登場する。女の産んだ子は「鉄の杖をもって民を牧する」と書かれている。黙示録の他の箇所と照合すれば、これがイエス・キリストであることは子供にでも分かる(黙示録19:15)。
 女の生んだ「子」は「女の子孫」と書かれ、クリスチャンは「女の子孫の残りの者」と書かれている。女の子孫とは創世記の最初のメシア預言、「女の子孫が蛇の頭を踏み砕く」がイエスにおいて成就したことを証明する。プロテスタントでさえこの解釈については異論がない。女が聖母であることは明らかである。(聖ジェローム訳聖書では子孫のラテン語は女性名詞であるからマリアである)
 その女についてどう書かれているだろう。女は天に現れ、頭に12の星の冠をかぶり、太陽を着て、足の下に月を踏みつけていた。大鷲の翼を2枚与えられ、竜の攻撃から守られた。ここから次のことが明らかになる。
 1、マリアはイエスをお生みになる以前から天にいた。したがって、彼女の魂には原罪はない。原罪をもつものはみな地に属するからだ。
 2、マリアの12の星冠の幻は、創世記に書かれているヨセフの幻(創世記37:9)に対比されている。ヨセフが幻に見た11の星は彼を除く11人の兄弟、つまりイスラエル11部族の祖である。したがって、旧約では12の星は12部族の祖を象徴している。だが、新約では12部族の祖はキリストの12使徒である(マタイ19:28)から、12の星は12使徒である。マリアの冠の12星は12使徒、それは天のエルサレムの12門の礎石である。
 「上にあるエルサレムは私たちの母である」(ガラテア4:26)、とパウロは天のエルサレムを母と呼んでいる。すなわち、信徒である教会の「母」は天上のエルサレムだが、黙示録ではそれが聖母マリアに重なっているのである。