263 :
信仰虚弱:
マルコ福音書はイエスの刑死から遅くとも18年後ぐらいまでにはまとめられています。つまり、マリアについて知っている多くの人がまだ生きていた時に書かれています。(もしかしたらマリア本人もまだ生きていたかも)
そのマルコ福音書の別の箇所には「神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ。」(3:35)
と記しています。マルコはマリアをどう評価していたのでしょうか。
イエスの母でありながら神の御心を行っておらずイエスから見下されていたと読むのか、肉親としての母ではなく神の御心を行うことでイエスから「神の母」、「教会の母」と高く評価されていたと読むのか、両極端のどちらかしかありませんが、Joyさんのような人は前者に、カトリックはおおむね後者に解釈するようです。
前者に解釈する人はそもそも、男も女もどちらも神にかたどって創造された(創世記1:27)ということを重く受けとめていないのです。
Joyさんのおかげで今日は寝つけないや。