>>112「みゃぁ」さん。とても勉強していて探求心が旺盛なんですね。
一テモテ2:5の聖句は、モーセが神とイスラエルの契約の仲介者であったように、キリスト・イエスが神と私たちの「新しい契約の仲介者」なのだということを教えています。ヘブライ8:6、9:15、12:24の「仲介者」の意味を参照すれば明らかです。
「新しい契約」とはイエス自身が「この杯は、あなたがたのために流される、私の血による新しい契約である」(ルカ22:20)と言っているところの、十字架のあがないによる罪の許しです。
気の毒なことにこの「俺」という人は、その意味を取り違えています。すなわち、「新しい契約の仲介者」と「罪の許しや願いの取り次ぎ者」このぜんぜんレベルの違う概念の区別が解らないわけです。
「みゃぁ」さんの指摘のように、キリストが神だということも、たぶん理解していないのでしょう。
> (マリアは)少なくとも三位一体の神全体に対する仲介者ではない。
これはちょっと違います。三位一体とは、父なる神とキリストという神と聖霊という神の3者が、非常に仲のいい家族のように思いをひとつにし、力をひとつにして、それぞれに働いておられるということです。ですから、マリアはイエスへの取り次ぎ者であれば、すなわち三位一体の神への取り次ぎ者と言っていいのです。三位はひとつなのですから。ただ、「父なる神への取り次ぎ者」と言うとペケです。