心と宗教の板<避難スレッド>お話しませんか?U

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279名無しさん@1周年
>寺社に参るとき、本尊がどうあれ拝んでしまったり、稲荷や地蔵や仏壇や、
>人の墓や、天の神への神頼みやら、節操なく拝むという意味なのかな。

微妙な例だなぁ…、そうとも言えるし、違うとも言える…

思うのは、宗教ならば、なにか必ず絶対的な観念が含まれているというところ。
分かりやすいのは、キリスト教の神様。絶対普遍的な存在だよね(観念として)。
東洋宗教は汎神論では?と思うかもしれないけど、汎神論でも、
その1つ1つは限りなく絶対普遍性に近い存在として観念されるよね?だから宗教でいいと思う。
仏教では、「仏性」が絶対普遍性を近い存在として観念されてると思う。

しかし、神さまなんていないという思想には、どこにも絶対普遍性の存在が観念されてないよう
な気がするんだ。だから、宗教ではなく、「無神論という宗教」でもない。

そして、神はいないという思想では、例えの本尊、稲荷、地蔵、仏壇、人の墓、天の神、
どれも絶対普遍的な存在として観念されてない、そこに宗教とは呼びたくないという感覚が
働いてしまう…
こんな感じかな…、伝わるかなぁ…、ちょっと心配…