神道(古神道)の鎮魂・帰神について

このエントリーをはてなブックマークに追加
558名無しさん@1周年
>>556

確かに微妙な推論になりますが、>>557さんの仰る通りです。(笑)
ひみつさんの「古道」は、ひみつさんにとって先天的にも、後天的にも
「真水(蒸留水)」以外の何物でもないはずです。
同じく、ヴァチカンのある敬虔なクリスチャンAにとっては、キリスト教(古道?)
が先天的にも、後天的にも、「真水(蒸留水)」以外の何物でもないはずです。

ひみつさんとクリスチャンAは、先天的には多少は違いますが、同じ人です。
そして宗教とは「自分の生を満たすもの」という点では同じはずです。
双方、「真水」に触れる感覚の素晴らしさには違いはないでしょう。
しかし、「キリスト教の教えが『真水』に至る道だから、キリスト教の考え方を
信じなさい」とひみつさんに今から言っても、「真水」に至る道にはならない
のではないでしょうか?
同じく、ひみつさんの「古道」は、クリスチャンAにとって「真水」に至る道には
なりえないと思うのです。

>>552 そのように古道を歩む者が広げていかなくてはいけない
というのは、日本の「古道」が「真水」に至る道だと、クリスチャンAに言うのと
同じことのような気がします。
その方策を無理にひねり出そうと思えば、ひみつさんの「真水」は濁るばかり
になるのではないでしょうか?
お互いがお互いの同じ「真水の素晴らしさ」を認め、「真水の違い」を認めあう
ときのみ、お互いの霊の素晴らしさを感じあえるのだと思います。

ひみつさんの産土大神のお話には、いつもリアルな実感から来る迫力と、
真摯な行者に対する敬服を感じています。