異言

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★偽の異言★

 明らかに、真の聖書の異言はちんぷんかんぷんの話ではなく、言語だ。しかし、
ペンテコステ・カリスマ運動で異言としているのは真の言語ではない。しばしば
「グロッソラリア」と呼ぶ、今日の異言は聖書の言語の賜物と同じではない。
 トロント大学の言語学教授William Samarinは、「私は5年以上の間、イタリア、
オランダ、ジャマイカ、カナダ、アメリカの集会に参加した。古典的ペンテコステ派
もネオ・ペンテコステ派も見た。家庭での小人数の集会にも、公の大集会にも行った。
ニューヨーク市ブロンクスのプエルトリコ人、アパラチア山脈の蛇使い、ロサンジェルス市の
ロシア・モラカンなどさまざまな文化を見てきた。(中略)グロッソラリアは実際、
ある面で言語と似ているが、それは、語る人が(無意識的に)言語のように話すからだ。
表面的な類似はあるが、グロッソラリアは根本的に言語ではない」と言う。
 William Samarinは、多くいるグロッソラリア研究者の一人だ。グロッソラリア研究は
すべて、今日、私たちの聞いているのが異言でないという点で一致する。言語でないなら、
聖書の異言の賜物ではない。
 1世紀のコリントとその周辺の神秘的宗教は恍惚的会話やトランス体験を広範に用いた。
恍惚的な虚偽を用いて異言の賜物を腐敗させるコリント人もいたのではないかと思われている。
彼らがやっていたことは今日のグロッソラリアとよく似ていた。パウロは、そのような慣行は
異言の賜物の意味を回避するものであると言い、彼らを正そうとした。そのように異言を用いるなら、
キリストのために益とならず、害となる。

『混迷の中のキリスト教』ジョン・F・マッカーサーJr・著
発行・日本長老教会文書出版委員会 発売・いのちのことば社より無断転載。