☆† キリスト教@質問箱 †☆

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441革命の闘士・イエスとは
イエスはユダヤ最大最高の革命闘士だった。

当時、植民地としてローマの支配のくびきの下に置かれていたユダヤは、自らを神の民と誇る歴史ある民族だった。
だが、各地で武闘派政治結社ゼロテ党(熱心党)によるゲリラ的な行動はあったものの、
強大なる当時のローマ帝国の軍事力には抗うべくもなかった。
かつての偉大な我が民族が異教徒の奴隷と化している現状を見かね、ナザレの大工の息子であったイエスは革命の理想に燃えて立った。

だがイエスはゼロテ党の愚は繰り返さなかった。
血気盛んな若者を集めてナイフを持たせ武力(軍事力)で対抗しても、相手は世界帝国ローマである。勝てる見込みなどない。
イエスの取った革命の道は、いわば『草の根運動』だった。
10人の屈強な戦士より、1000人の老人や病人を自分の軍の兵士としようとしたのだ。
(ここにイエスのたぐい稀なる知性と先見の明が見える。)

彼には持って生まれたカリスマと知性、弁舌の才、そしてエンターテイナーの素質があった。
まず彼は、当時大衆に影響力のあった「洗礼者ヨハネ」を説得し、
ドラマティックなパフォーマンスで彼の後継者という肩書きを得てその存在をアピールした。
彼はユダヤに伝わる神の言葉で人々の中の『民族の誇り』に訴えかけ、
大衆に理解しやすいように喩え話を頻繁に用い、言葉を選んで語りかけ、
「荒れ野をさまよった」とされる時期に東方の導師に教わった医学や薬学の知識で病人を治療し、
いくつかの奇術・トリックを使って大衆をひきつけた。

また彼は、集団心理学と言うべき物も心得ていた。
彼は大衆の間に広がる『噂』の力も知っていた。
集団ヒステリー状態に置いた会衆に幻覚を見せたり、
部下を使って、「イエスは奇跡を起こすらしい」
「イエスはダビデの子、救世主らしい」「ラザロという男を生き返らせたらしい」
などの『噂』を広めさせ、瞬く間に信奉者を増やしていった。
442革命の闘士・イエスとは:2001/05/30(水) 10:42
さらにここでイエスは、驚くべき作戦に出る。
倒すべき敵であるはずのローマ軍兵士にまで同様の手で信奉者を作り始めたのだ。
なぜか?
イエスはローマの弱点を見抜いていたのだ。
皇帝の意を末端まで徹底させるには、帝国はあまりにも巨大になり過ぎていた。
ローマの大衆がこぞって異を唱えれば、いかに皇帝の権威をもってしても抑えきれなくなってしまうだろう。
イエスは帝国の国民の中に信奉者を作り、民意を操作して『植民地ユダヤ』に同情的な世論を作る事で、
ゼロテ党のように外から武力によってではなく、
帝国の内側からローマを打倒する事を目論んでいたのだ。
本来ユダヤの民のみの神であったヤハウェを『全人類を救済してくれる神』へと無理に捻じ曲げたのは、
多民族国家であるローマ帝国国民に訴えるためだった。
(実に卓越した政治的戦略と言える。)

だが、イエスにも一つ誤算があった。
権力を持った人間の愚かさを軽く見すぎていた。
順調に進むかに見えたイエスの革命運動は、ユダヤの身内による意外な背後からの攻撃によって潰える。

当時ユダヤ教会を支配していた高僧達は、ローマの植民地支配下にあってもなお、その権力を維持していた。
いや、苦難の時代だからこそ、神を求める民衆の信心は篤く、高僧達にとってはありがたかっただろう。
いつの世もそうであるように、高僧達は金と権力に腐りきった暮らしに満足していた。
ところが、イエスなる若者がカリスマとして世に出、民衆の支持を一身に集めてしまった。
(ちょうど、小泉人気で国民の支持を失ってしまった献金大好き族議員の心境だったろう。)
彼らにとっては『民族の独立』よりも『目先の金と権力』『現在の安楽な生活』を維持する方が大事だった。

自分達の既得権益を侵される危険を感じた高僧達は、
イエスを『由緒正しいユダヤ教を勝手に歪めて広める悪魔の使い』として非難し、
なんとか民衆の心を取り戻そうと画策した。
だが論争と情報戦に関しては、既得権益にしがみついて安穏と暮らしていただけの高僧達よりイエスの方が一枚も二枚も上手だった。
高僧達の反論は、イエスによってことごとく論破されてしまう。
イエスは逆にこの事を逆手に取って、さらに自分の支持者を増やしさえした。
443革命の闘士・イエスとは:2001/05/30(水) 10:42

ここに至って高僧達は、もはやイエスを反逆者としてローマに売る以外、自分達の生き残る術は無いと心を決める。
自分達の息のかかった者をイエスの側近に潜り込ませ、ローマ反逆の証拠を固めていった。
イエスが側近の裏切りに気が付いた時には、もはや逃げられない所まで追い込まれていた。
イエスは人間の愚かさを、既得権益への妄執に憑かれた者の恐ろしさを甘く見過ぎていた。

逮捕・処刑が時間の問題だと悟ったイエスは、最後の作戦に討って出る。
避けられない死を逆手に取り、自らを殉教者とする事で、ユダヤ独立のシンボルとなる事だ。
高僧側の内通者であるユダに「行って私を引き渡すがいい」と命じ、
側近の部下達に「イエスはかねてより自らの死を予見していた」
「イエスは復活し、ユダヤを率いる為に必ず戻ってくる」と噂を流させ、
磔刑によって自らの伝説を完全な物として完成させようとしたのだ。
イエスが十字架上で言った「彼らは自分が何をしているのかわからないのです」という言葉は、
同じユダヤの民でありながら、自分達の既得権益に目がくらみ、独立運動を、国を売った高僧達に向かって吐かれた言葉だった。

だがイエスの死後、事態は思わぬ方向へ流れはじめる。
イエスの生前の目論見通り、ローマの一般市民の間で彼の伝説は広まっていったが、
それはもはやユダヤ独立云々とは関係の無い、新しい宗教、『キリスト教』としてであった。
それは市井の人々の希望と夢の産物であり、イエスは圧制や重税の苦しみから開放してくれる都合のいい神の子、救い主だった。
一度はローマの弾圧により地下に潜ったキリスト教だが、人々の想いは強く、やがてはローマを支配するようになっていく。
そして彼の伝説は一人歩きを始め、皮肉な事に彼の希望とは裏腹に、ユダヤから離れてユダヤ批判の中心となっていった。

その後変質しながらヨーロッパ諸国に野火の如く広がっていったキリスト教は、
歴史の中で様々な国家やイデオロギーに侵略の大義名分として利用され、現在に至っている。
今ではもはや『革命闘士・イエス』の本当の姿を知る人は少ない。