◆◇親鸞会とは?(親鸞会総合スレ)◇◆

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444元かいいん
>>443
>宿善とは前世に積んだ善根。今生で宿善を積むと来世で善果が開く。
>今生では死ぬまで信心は得られない。信心は次生のテーマである。
>あったりまえじゃろう。今頃、宿善を積んでいるんなら、死ぬまで信心なんかは得られまい。
宿世(過去世)とは生まれる前が一応の意味ですが、肉体の生命の生死にかかわらず、
過去・現在・未来の三世は我々の流転の業識の中にあります。
つまり今日を現在とすると、昨日は過去であり、明日は未来です。
実際今日生まれた赤ん坊は昨日まで前世であり、明日死ぬ人は明日から後生ですが、そういう人
にだけ因果が存在する筈がなく、生きている中でも昨日は今日から見れば過去であり、
その過去の因が現在である今日へつながり、今日なした行為の因は明日の
私へとつながってゆく。もっと言えば一時間前も過去であり吐いた息も過去になり、一時間後
が未来であり吸わんとする息が未来になります。吸う息吐く息、一瞬一瞬、念々の行為の中に
過去・現在・未来があると説くのが三世因果の道理です。
だから生まれる前に宿善薄い者は、この世で一生懸命求めてゆくしかない、のです。
今日宿善を求めず安楽放逸をむさぼるのと一日真剣に宿善を求めるのとでは、明日の時点での
宿善が異なるのは当然です。
「宿善も遅速あり」で宿善に厚い人と薄い人がいるから、薄い人は今現在一生懸命求めるので
はないですか? もし生まれる前に宿善の薄い人は、今生はアキラメルのですか?