◆◇親鸞会とは?(親鸞会総合スレ)◇◆

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300元かいいん
渡海さんへ
>>290
ご丁寧に長いご文を挙げていただきましたが、仏のさとりを開いた方が「流転輪廻」しないことは、
一般人でも知っていると思います。問われているのは、ある人間界の衆生をさして「あの人は仏の
生まれ変わりだ」ということが、適切でない、かどうか、です。
「仏が流転輪廻しないのは大乗仏教の基本的な考えです」と力説されても、スジ違いです。


経典の根拠は追って出しますが、『教行信証証巻』の以下のご文は、ご存知でしょう。
「二つに還相の回向といふは、すなはちこれ利他教化地の益なり。すなはちこれ必至補処の願
(第二十二願)より出でたり。また一生補処の願と名づく。また還相回向の願と名づくべきなり。」

弥陀の四十八願中二十二番目を「還相回向の願」等と親鸞聖人は呼ばれ、種々の聖教から、
その趣旨を解説されています。
(以下『教行信証証巻』)
『浄土論』にいわく、「出第五門とは、大慈悲をもって一切苦悩の衆生を観察して、応化の身を示す。
生死の園、煩悩の林のなかに回入して、神通に遊戯して教化地に至る。本願力の回向をもってのゆえに。
これを出第五門と名づく」と。
『論註』(下)にいわく、「還相とは、かの土に生じおわりて、奢摩多・毘婆舎那・方便力成就する
ことを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向かえしむるなり。もしは往、
もしは還、みな衆生を抜いて生死海を度せんがためなり。」
またいわく(論註・下)、「(中略)この菩薩は報生三昧を得。三昧神力をもって、よく一処・一念・
一時に、十方世界に遍じて、種種に一切諸仏および諸仏大会衆海を供養す。よく無量世界に仏・法・僧
ましまさぬ処にして、種種に示現し、種種に一切衆生を教化し度脱して、つねに仏事をなす。」
<次レスへ続く>