◆◇親鸞会とは?(親鸞会総合スレ)◇◆

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>>129
>単純には、これだけの財施をされるという事は、それだけの法施を受けられたんだ。ということ。

  財施と法施は比例関係にあるという考えですか。
 「一紙半銭も、仏法のかたにいれずとも、他力にこころをなげて信心ふかくは、それこそ願の本意にてそうらわめ(歎異抄)」。
 財施と信心は全く無関係ですよね。それとも、深い関係があるのでしょうか。
 親鸞会での財施の目的を教えていただけませんか?もし、財施がなければ法施が無いということになりますか。財施も法施もなければどうなるのでしょうか。死んだら地獄に堕ちるのでしょうか。財施と法施をすれば、信心が無くても地獄に堕ちない。そういう考えでしょうか。財施は信心と関係ない。だから、財施をしても地獄に堕ちる奴はおちる。堕ちない奴は財施なんかしなくても堕ちない。いかがですか?
 「世間の欲心もあるゆえに、同朋をいいおどさるる」この辺はどのような意味だと教わってらっしゃいますか?」