◆◇親鸞会とは?(親鸞会総合スレ)◇◆

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167元かいいん
>>143
キャイーンさんの回答ですが・・・
>・「疑心=謗法ととらえています」という事ですが、そのとおりでしょう。
>「最終的には大謗法をしないと(意業、身業、口業 にかかわらず)信心決定出来ない」という事ですが、
>あまり理屈っぽく考え無くてもよいのではないでしょうか。
>「獲信の場面での「疑いばかり・・・」という親鸞聖人の心情の吐露」は、大謗法の救われ難い我が身を知らされたお言葉と思います。
これは違うと思います。疑心(弥陀の本願を疑う心)と謗法はまったく別ものです。
説明に時間がかかりますが、端的に言えば、疑心は信後なくなりますが、謗法は信前信後通じてかわりません。
「獲信の場面での「疑いばかり・・・」という親鸞聖人の心情の吐露」云々ですが、これは獲信の前(信前)の
心境の描写です。謗法は地獄へ堕つる罪ですが、その謗法しかできないのが人間の真実の姿です。それを見抜いて
謗法を正客として誓われたのが弥陀の救いです。その誓いを疑う罪が疑心です。疑心は平生救われたと同時になく
なります。