幸福の科学会員限定

このエントリーをはてなブックマークに追加
695坊ちゃん
>>694のつづき
ですから、家庭不和や自己破産のような状態になることは、回避しなくてはなりません。
『あるべき姿』という法話でもありましたが、軍事でいわれる「兵站」の確保ということを、
個人のレベルでも考える必要があります。
「供養や祈願をやるのは、おかしいじゃないか」という人がよくいますが、
仏教の初期においては、たしかに、個々人が修行によって、悟りを得ていくということを
重視していたと思います。
しかし、釈尊と目連の対話で有名な「盂蘭盆」というのがあるように、
釈尊在世中に、死者に対して光を手向ける、「廻向する」という思想はあったのです。
そして、大乗の時代になり救済というものが、重視されるようになると、
より多くの人を救うために、「他力」の面が強調されました。
また、幸福の科学を残していくためには、冠婚葬祭に密着した生活密着型宗教にしていく
必要があります。(くわしくは『悟りの挑戦・下巻』第5章参照)
言い換えれば、多くの人に受け入れられる、「信解脱」の法門を開いている必要があるのです。