真如苑から、脱会させたい。

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>>460
残念ながら子供というのは何らかの「前提」を持っていない為にどんな事でも
信じやすい。よって多くは親の価値観をそのまま引き継ぐ事になる。
キリスト教徒の子供はキリスト教徒になるし、イスラム教徒の子供はイスラム教徒になる。
そして、その引き継いだ価値観をもとに善悪などを判断するので、
結局、子供にとって親の信じている事は「正しい」ことになる。
この過程は何もエキゾチックな宗教の家族に限らず、一般的な日本の家族を考えれば
明らかだろう。恐らくあなたも、親の「影響」で日本人の「常識」を身につけ、
それをもって善悪などを判断している事だろう。そしてやはり自分の親を、
更には(当然だが)自分を「正しい」としているだろう。

そうであるから、子供をもって親を非難するには、子供が親と違う思想宗教を
身に付けなければならない。そしてこれはなかなか起こりえないのだ。
もちろん、少数ながら存在するそのような人々は、その宗教に対して
敵対意識をもつ事が多いのも確かだ。この事は脱退した人々にも言えるが、
そのような人々は身に付けた新しい宗教(日本では「常識」)をもって
もとの宗教を非難する事になり後の経過は前に述べたとおりだ。

しかし、そのようにしてある思想宗教を(「普遍的に」)非難できるとすれば、
日本での「常識」を(親が「常識人」でありながら)非難する人もいるから逆に、
「常識」も非難されるべきものである可能性が出てくる。
そうなれば、前に述べた相対主義の泥沼にはまる事は間違いない。

次に、「「子供の立場になって考える」と子供が不幸だ」などと言う人がいるが、
これも残念ながら上に述べた理由によって子供はそう考えないのが現状だ。
親にその言葉を放っても、親はそう考えていない上に、子供もそう思わない事が
多いので、単純に話が通じないに終わることは十分起き得る。
事実認識の違うもの同士の会話は非常に困難だ。

以上から、子供をもってその親を非難し難い、と言う事が結論される。
であるからそれぞれの立場を考慮しても、議論の対象は思想宗教自体のみに
帰着する事だろう。親が子供を教育する事については前にも述べたとおりだ。