親鸞仏教を見直そう。

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99渡海 難 p04-dna34yokohamami.kanagawa.ocn.ne.jp
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>この言葉、自分が言われたらどう感じますか?

 多少貴方もご不快に感じられたようですね。どうせ、「名無しさん@1周年」などという便利な覆面を被っているんだから、蛙の面にションベンを決めこんでお気になさらなければよろしいんじゃないですか(笑)。こちらも感情の動物です。腹を立てればきつい言葉も出てきます。どうせ貴方の覆面は、きつい言葉をよけるための覆面なんざんしょ。

>あなたはどう感じながら書いたのですか?
  不快を感じながら書きました。

>そう感じたのはなぜですか?

 覆面の主から説教された感じをもって不快を感じました。「覆面」と「鏡」の取り合わせに反応したんですよ。鏡をみなさいなどと仏さんみたいな説教したいんなら、名無しさん@1周年などと言う覆面は最初からしなさんな。

>そういう自分の心の姿は、仏教ではどのように教えられていますか?「法の鏡に照らす」とはそういうことです。

 大きなお世話です。十把一絡げの覆面の人からインターネットで仏教の講釈を受けようとは思いません。覆面の主から「鏡」などと言われる覚えはありません。「法の鏡に照らす」などと言うなら、覆面を取って言ったらどうですか。覆面を取って仰ってくるなら、たとえ無名の方(言い方失礼)でも耳を傾けるでしょう。鏡とは物を写す道具です。鏡と覆面は取り合わせが悪いとは思いませんか。